こういう世界中に、案の定どのくらいの昆虫が棲んでいるのでしょう。僕は人生かかっても奴らのタイトルさえ憶えられないことでしょう。鳥陣の食生活として至る所でドラマが繰り広げられていると思います。そうして奴らは生命のルールに従い子孫を増やしていらっしゃる。このようなことを考えているとあの外観が浮かんでしまう。タマムシだ。昔は町のクヌギの木などに大勢いました。あのメタリックな煌めきは特別な雑貨でした。また、タマムシのようにメタリックな青をまとった蛾を、密林で見つけたことがあります。あまりの美しさに度肝を抜かれました。サツマニシキという蛾でした。奴らはなんでこんな愛らしい色あいってつやを身に着けているのでしょう。増加客への訴求につきでしょうか。昆虫のマーケットには昆虫の伝達のメソッドがあるのでしょうか。そうだとしてもあまりにも美しい外観だ。玉虫厨子を作った者はタマムシの外観に心奪われたからではないでしょうか。目下、たくさんのタマムシを見た場所に行ってもタマムシには会えません。水棲昆虫のミズカマキリの生息ロケーションも、こういう五階級で激減している。このままではレイチェル・カーソンの書いたマーケットは遠くないご時世に現実の雑貨となるのではないかと危惧する人間のセルフだ。大人は近い将来業界から去っていくでしょう。ただし子供たちには長いライフがあるのです。大人が「僕が業界で生きている間は大したことにはならないだろう」と、逃げ切りを図ろうとするなら、あまりにも悲しい話です。私たちは教えられました。「自分のケツは自分で拭え」といった。面倒かもしれませんが、置き忘れる事態だけはしてはならないと思います。目元が暗い人はこちら